のび太に学べ



ようこそ 飴のブログ【遣らずの飴】へ
『遣らずの雨*1』って、なんとも切なく色っぽい言葉だと思いません?


こんにちわ、流し台は割れた大皿がそのまま放置、飴でございます。
なんだか毎日家に帰ると電池がまったくない状態です。
仕事はがっしがしやってるんだけどなぁ・・・。
皆さんは今、自分の大切な人を安心させていると言い切ることができますか?
さて、火曜はグダグダうんちくの日。
今日は大好きなドラえもんネタです。
昔どこかで【ドラえもんが日本をダメにしている】と書いたことがありますが、これ飴の持論です。
意見はいろいろあると思いますが、まぁ聞いてやって下さい。
 「僕だけの力で君に勝たないと、ドラえもんが安心して未来に帰れないんだ!」
これ『帰ってきたドラえもん』という放送回で、のび太ジャイアンに云う台詞。
未来に帰らなければならないドラえもんのためにのび太が自立を決意する、という大人でも涙なしでは観られない感動ストーリーです。
ここだけ聞くと、えぇ話やないか・・・と涙をそそられますが
でも違うのです。
これがドラえもんの最終回だったらいいのにね。
それならいい。
そういう、かっこく成長した、素敵なのび太が見れる回もある、というのがひっかかる。
結局何もなかったように、毎週金曜日にはダメ男くんに戻るのび太
ドラえもんに助けてもらう。または、「たすけてー(泣)」とジャイアンに追い掛け回されながらの尻切れトンボで終わる。
ダメなやつだなぁとテレビの前で子供たちは、自分はそうすまいとちゃんと学んでいるだろうか。
子供たちが何か感じてくれたらいい。何か残ってくれたらいい。
というのは、ちょっと無責任な感じがする。
本当はそれで良いのだと思う。
でもドラえもんが世に出るいろいろな出版物やメディアと同じスタンスでは心配だ。
だって影響力が多大だもの。
毎日そういう教訓じみたものを実感しなくても蓄積でいい。
蓄積という手がある。
でもそれは、ちゃんとのび太みたいにならないぞドラえもんはいないけどがんばるぞ、という蓄積なのだろうか。
皮肉れ者かも知れないが、違うんじゃないか、違うとやだなぁといつも思ってしまう。
やっぱ現実は厳しいよね、そう簡単にはいかないよね、人間って弱いよね、なんてのが蓄積してたらやだなぁ。
みんなドラえもんは映画だけを見ろー!というのが飴個人の希望です(笑)
ドラえもん映画のお話もおいおいしましょう。
今日は私の持論を押し付ける気はなく、ただ皆さんはどう思いますか?というお話です。


仕事柄、失業や若年層の就職意欲、フリーターについて考えることが多いのだが、とある高校の、進路指導の一環で生徒たちに、『帰ってきたドラえもん』を見せたそうな。
私自身、高校生をやめてもう10年以上たちますがw
これを見た生徒たちの隠れた自立心は刺激されたのでしょうか。
社会は子供たちの成長を見守っています。
相談相手にもなります。
手助けもします。
のび太は自立できないままニートフリーターになってしまいそうな若者、
ドラえもんはそれを支える、社会、親、環境というところでしょうか。
身近なドラえもんのび太が題材だから、子供たちの心にはよく響いたかもしれません。
逆に、次の週から何もなかったかのように普段ののび太に戻る辺りに、【リアル】なんか感じちゃってないでしょうか。。。
ちょっと心配。

*1:遣らずの雨(やらず-の-あめ):まるで訪ねて来た恋人を引き止めるかのように降ってくる雨の意